履正社高校、甲子園初優勝おめでとう

*テツヒサ情報局 2019年8月22日(木) くもり時々晴れ
夏の終わりを感じさせる
8月6日から22日まで開催されていた全国高校野球選手権大会、通称夏の甲子園。今年も球児たちが白球を追いかけ熱い戦いを繰り広げました。今日は決勝戦で大阪の履正社vs石川の星陵。決勝に相応しい白熱した戦いとなりました。根っからの高校野球ファンでない私でも強豪校として知っているだけあって初優勝どちらが勝っても初優勝であることが信じられない感じでした。令和元年に優勝したのは大阪履正社高校。関西勢の活躍はとても嬉しいですが名勝負を繰り広げた星稜高校にも大きな拍手を送りたいと思います。

 

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OBたち
初優勝ではなく何度も勝手そうなイメージを抱いたのは履正社や星稜のOB達が凄い。OB達のコメントをメディアも取り上げていましたがサッカーの本田圭佑選手は星稜出身。プロスポーツ選手を多数輩出する名門校であることがわかります。
■履正社高校出身プロ野球選手
T-岡田 増山性旭 岸田護 坂本誠志郎 山田哲人 大原徹也 土居健大 寺島成輝
■星稜高校出身のプロ野球選手
小松辰雄 北康博 若狭徹 音重鎮 湯上谷宏 鈴木望 村田勝喜 松村有人 松井秀喜 山本省吾
辻武史 北野良栄 高木京介 島内宏明 西川健太郎 森山恵佑 北村拓海 岩下大輝
甲子園クイズ
Q:木製バットは使ってもいい?

 

A:高校野球の代名詞ともいえる金属バットだが、実は使用は任意であり、木製バットで打席に立っても構わない。金属バットの採用は第56回大会(1974年)から。その理由は、木製バットは折れたり、ひび割れたりするなど消耗が激しく、部費が少ない野球部のハンディを補うため、丈夫で長持ちする金属バットが採用された。ただし、金属バットをツートンカラーに着色するのはNG。

 

 

Q:延長戦の制限は何回まで?

 

A:第82回大会(2000年)から15回となり、決着がつかなければ再試合となる。規定ができたのは第40回大会(1958年)で、18回となった。きっかけとなったのがタレントの板東英二。当時、徳島商のエースだった板東が同年春の四国大会で高知商に16回、翌日の高松商(香川)に25回を投げ抜いたことが問題視された。板東は第40回大会に出場し、準々決勝の魚津(富山)戦で18回引き分け再試合となり、規定の適用第1号になった。

 

 

Q:女子選手は出場できないの?

 

A:その学校に在学する男子生徒のみが出場できる。また、男子部員についても規定があり、その学校の「当該都道府県高等学校野球連盟に登録されている部員のうち、学校長が身体、学業及び人物について選手として適当と認めたもの」とされている。

 

 

Q:入場行進のプラカードを持っているのは誰?

 

A:兵庫県の市立西宮高校の女子生徒。プラカード嬢による先導が始まったのは第31回大会(1949年)から。以降、同校の生徒から選ばれるのが慣例となっている。過去には、祖母、母、娘の3代にわたって参加した生徒もいる。ちなみに選抜大会は、2007年までボーイスカウトの高校生が先導役を務め、08年以降は各出場校の生徒が務めている。

 

 

Q:大会の通算奪三振記録保持者はタレントの板東英二?

 

A:選抜は怪物・江川卓(栃木・作新学院)の60個(1973年に記録)。夏は板東英二(徳島商)の83個(58年に記録)。当時の板東は快速球を投げる剛腕投手として鳴らし、大会の注目株。準々決勝の引き分け再試合を含め、決勝まで投げ切り、半世紀以上破られない大記録を作った。ちなみに板東に次ぐのが早稲田実(西東京)・斎藤佑樹の78個(2006年に記録)、3位は桐光学園(神奈川)・松井裕樹の68個(12年に記録)。

 

 

 

 

 

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~2012年6月より365ブログ計測中 No.3502~